この間の傾城の宿題。
「総称」というのはどうやら本当のようです。
解りやすく「会社」にたとえてお話してみたいと思います。
会社=遊郭とします。
社員=傾城
会社には社長をはじめ、多くの人が勤めています。
つまり、遊郭にいた遊女たちを社員と考えます。
そこでは、太夫も花魁も社員、つまり傾城と呼ばれていたようです。
花魁=いわゆる役付き
元々は、禿(かむろ)や、いわゆる「やり手婆}が
「おいらの、姉さん」
と、呼んでいたことが語源だとか。
「おいらのねえさん」→「おいらの、、」→「おいらん」
その昔、花魁というランクは無く、
後にランクのような扱いになったようです。
でも、禿に、「おいらの、、」と呼ばれるという事は、
何人かの遊女に付いていた禿ではなく、彼女一人に付いた禿が居たのかもしれません。
つまり、自分だけの禿がいた遊女は花魁とよばれた?のかもしれません。
太夫=社長、取締役
太夫は、会社の中で言えば一番トップの人。秘書や運転手は必ずいますよね。
遊郭ではもちろん部屋持ちであるし、禿も彼女の専属がいたわけです。
日舞の衣装では
太夫、花魁、傾城という順番で衣装が段々軽くなります。
なので、、お茶引き姉さんも、みずてん芸者も、部屋持ち花魁、そうでない花魁も、太夫も(部屋持ち)、ひっくるめて総称は傾城。
その中に、太夫や、部屋持ちの花魁がいたわけです。
私と、師匠が調べた結果なので、
必ずしもそうであるとは断定できかねるのですが、
私も師匠も手に取った資料は別々です。
花魁が「おいらのねえさん」がなまって出来たように、
時代の流れで言葉も変わって来ていると思います。
太夫も今では邦楽の唄い手さんの事も言いますしね。
皆様の参考に少しでもなればと思います。
また、調べたりご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご意見いただけたらと思います。
国文学の分野から、手元にある範囲内で調べたのですが、見つかりませんでした。なかなかに興味深い内容ですね。