すががきとは「清掻」と書き、明治五年まで行なわれていた。

昔は、昼夜とも張見世して、その都度弾いたが、
後年には夜だけの張見世となってその時弾いた。

当初は唄の合の手に弾いた物だったという。
元禄ごろは
 二上がりすががき、江戸すががき、山谷すががき
が出来たといわれ、安永ころまでには

新造が、長唄や豊後節などを思い思いに唄ったり、
琴、三味線を弾いたのを、
「誰々は、声がいい」とか「節が巧みだ」 といって、

店を開けるのを待ち兼ねて、
格子先へ人々が集って来たという。

その後、唄が全くなく清掻だけになったのである。

              (「廓の生活」 中野栄三 著より抜粋 ) 

吉原には、「清掻」という物があったようで、
器量はよくないが、腕は、、なんてこともあったようです。

この言葉を知ったきっかけ、
それが佐伯泰英さんの小説でした。

私が夢中で読む小説家さんのお一人です。

お気に入りのシリーズは
吉原裏同心 シリーズ
夏目影二郎の 狩りモノシリーズ

主人公がとっても強い。

え~そんなの、、、
なんて思ったら間違い!!

時代考証や町の様子などなど、、
とにかくよく書かれている作品かと思います。

吉原裏同心の作品は、
奥様が和歌を詠んだり、
吉原の様子、また、遊女達以外の職の方のお話、、
など、吉原の様子が頭に浮かぶような描写がたくさん。

影二郎のシリーズは、「あか」という犬が登場したり
津軽三味線と、長唄三味線の対決、、、
なんてのもあったり、、
登場する一人ひとりいきいきと描かれています。

吉原裏同心に
清掻(すががき)
という作品があります。

一番頭に載せたのが
その説明。

音に聞きほれてしまうなんて様子も、
目に浮かぶようでした。

佐伯さんの作品をきっかけに、
調べてみたり、、、
なんてことは結構あります。

歴史の考証も手を抜かずにされているようです。

「役者狩り」なんて作品は、
「歌舞伎役者」の生活が生き生きと描かれており、
面白い作品でした。

2 thoughts on “吉原の話 清掻とは? 佐伯泰英 さんの作品達

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