「邦楽の世界   山川直治 著  講談社」
を読んでいたら、意外に知らなかった三味線の事が載っていました。

新内をしているのにお恥ずかしい限り、、、

なのですが、お勉強になった記事を紹介したいと思います。

日本の伝統楽器の多くは外来の物であり、
 また、ソレを日本的に改造した物であるが、
 中でも三味線の日本における歴史は新しい。

琉球より、大阪の南、堺港に三絃(常用漢字は弦の字)が渡来したのは
 永禄年間(1558~70)、織田信長が天下統一を目指して華々しく活躍していた頃である。
 盲目の「琵琶法師」が、これを手にし、琵琶をもとに諸々改造して

 日本の風土、日本人の感性、にかなった新楽器としたので、庶民にもてはやされ、
 「三味線」の字が当てられ、もてはやされた。

 三絃の渡来をもって、日本の近世邦楽の開幕ともされている。

改造の主要点

 ●琉球とは違い「義爪(ピック)」は用いず「琵琶の撥」を流用。
 ●日本本土に大きな蛇は棲息していない、また、「鱗」が「撥」にひっかかるため、
  蛇皮に変えて、「犬」「猫」の皮を用いる。
 ●膝の上での安定性を持たせるため
  胴は「一木をくりぬく」のではなく、「四枚の板を張り合わせ」大きくし、
  それにより音量も大きくした。
 ●琵琶の絃が「柱(フレット)」にふれてさわりが生じるように、
  三味線も「一の絃を上ゴマからはずし」さわりがつくように工夫。

こうして、改造する事で、
「箏」のようにかさばらない、
「琵琶」よりも音域が広く、棹に柱がないので「旋律進行も柔軟」
 旋律楽器であると共にリズム楽器の機能も果たす
という、新たな楽器が生まれました。

さらに言うと「箏」や「琵琶」のように伝統や格式もない
から、新興町人の表現エネルギーをたくすのに「恰好の楽器」であった。

(邦楽の世界  近代邦楽の開幕 三味線の伝来と普及  参照)

?H3>「日本といったら三味線」 そんな風に思っていた私。
沖縄の三弦は、三味線から、、、と思っていた。

まさか、琵琶の撥から流用された
なんて事も知りませんでした。

当時としては、伝統も格式もない
という、新しい楽器だったのですね。

どうりで、三味線音楽は「多方面」に、数多くありますね。

同じ楽器なのになぜにこんなに色々あるの、、、?

その謎は、三味線の誕生を知って、納得の結論に

12 thoughts on “知らなかった!?三味線の事、、、、

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