ありがとう。

幼い頃の記憶は『怖い祖母』でした。

我が家に来ると聞くと、ただただ、憂鬱でした。

怖いから。

『外人が、、』
と幼い私が口にしたら

外国の人ですよ』と叱られました。

書き初めも、宿題も厳しかった。

でも、お陰で先生に褒めてもらった記憶があります。

のびのびした良い字だ】と。

日本舞踊、三味線をはじめたとき、

1番喜んでくれたのは祖母でした。

水戸黄門に出た時は、
手紙や電話を、沢山の人にお願いして、
自らも局にしてくれました。

三重のホームへ慰問に行った折は、

手を叩いて喜んでくれ、

鼻が高い。自慢の孫だ』と言ってくれました。

歌舞伎座も何度も、一緒に行きました。

南座にも連れて行ってくれました。坂田藤十郎の襲名に、
高いチケットを取って連れて行ってくれました。

ちゃんと見とかなあかん』と。

会場でのNHKのインタビューに

先代の色気を思うとまだまだです!あっ!恥ずかしい、
ご贔屓さんに叱られますから放送はしないで!

と、可愛い姿でした。

五行歌を教えてくれ、
新聞に載った、
祖父への想いの詰まった五行歌を
自慢してくれました。

女性が先祖代々守ったという、
行李のお陰で、
赤松など、小南家の貴重な資料が発見され、

母方のルーツを知ることも出来ました。

「ライブを観に来てくれた時は

立ち上がり、のりのりで客席から応援してくれ、

お客さまから、「おばあちゃん??」とたちまち人気者になっていましたね。」

日本舞踊では、

道具浚いの「越後獅子」をみたときは、
母と一緒に三味線をやった思い出が蘇る!】と

くち三味線をしていました。

名披露目の「道成寺」の時は、

瑠依の祖母です!』と母を押しのけ(笑)

本当に喜んでくれました。

芸を極めるなら結婚はしなくていい!
と言っていましたね。

でも、師匠が結婚していると知った時は、

あの踊りを踊るお師匠さんが結婚しているなら、あんたもしてもいい

と、言っていました。

母の話や、祖父、曽祖母、の話、
結婚していた頃の苦労、戦時中のはなし、
好きなクラッシックの話、
沢山の話をきかせてくれました。

お酒も好きでした。

本当に、素敵な飲み方でした。

料理に合わせたお酒を飲むの。和食は日本酒。中華は紹興酒。

沢山はいらないの

たまにでるホームでのビールをとっておいて、
私が行くと必ず出してくれました。

いつもオシャレでした。

『みんな信者さんやらにいただいたものばかりで感謝ばかり」と。

ゾウさんのブローチをプレゼントしたら

わぁ!ぞうさん!!おじいちゃんは「じょう」だからみんなにゾウさん!ぞうさんて呼ばれていたのよ!

と喜んでくれました。

日々の散歩でみつけた
四つ葉のクローバーの押し花を
五行歌と共に
沢山沢山送ってくれました。

あんたのお師匠さんは
立派で、あんたを大切にしてくれてる。

お師匠さんを大切にしなさい!

お稽古場に来た折ずっと言っていました。

肺炎を繰り返して

なんども死にかけているのにおじいちゃん、まだ迎えに来てくれないの

でも、それは私にまだやることがあるからだと思う

そう言っていましたね。

おばあちゃん、

まだまだ沢山の語り尽くせない思い出が、

山なんかより

山程あるけれど、、、

やっとおじいちゃんが迎えに来てくれましたね。

これからはいつも近くで私をずっと見守ってください。

おばあちゃん、ありがとう。

心から、

感謝ばかりです。

瑠衣より。

大好きです。

(^-^)

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