「寂しい、、、。」
 「私って一人、、、。」

 そんな孤独を感じても、
 それは、『一人でない時・孤独でない時を知っているから』  かも、、

今日、ふと思ったんです。

孤独しか知らない人は、
「孤独が当たり前、隣の青い芝を見たところで、
そのよさを体感した事のないひとなのかも、、。」

幼いころ、たとえそれが記憶に残らないことであっても、
「愛情を受ける」という事を知っていたら、

それが親からのものでなくても、
たとえどんなに小さなことであっても
どんな形であれ「孤独」を感じるのでは、、、、ないかと。

常に愛されていても、
ふっと隣にその人がいなければ不安、、
少し離れたら不安、、
忙しさに追われ、どうにもならないときもふっと不安、、、

そんないろんな角度から、
「孤独」や「不安」
を感じてしまう私って、

見方を考えれば、
少なくても、、、数は多くなくても、
どんなに小さな出来事であって、記憶にないものであっても、
愛情を感じたこともあり、注いでくれる人もいたのだな、、、と思ってしまいました。

大きさ、重さ、そんなことは抜きで、
愛情はどんな形であれ、たとえ記憶になくても、
心は覚えているのだと。

目に見えないもの。

それだけに、「孤独」を感じるのもしかり、
私は、愛情に包まれているんだな、、、なんておもってみたりしました。

皆様はいかがなんでしょうか、、、。

9 thoughts on “孤独の定義と愛情の姿、、、。

  1. 私は、もし昭彦を亡くしたら、魂の半分を亡くしたような気持ちになるんだろうな・・・・ヾ(;→㉨←)ノ るいちゃん、孤独を感じる時、いつでも言ってね!!!!!!!! るいちゃんはたくさんの人に愛されてるよ(人´∀`).☆.。.:*・゜

  2. 大勢、あるいは愛する人と一緒にいることと同じように・・・孤独を楽しむ余裕もやがては持てるようになるかもしれません。 人生の様々なシーンが、やがては心の糧になります。

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