親鸞
「明日ありと 思ふ心の仇桜  夜半(よは)に嵐の吹かぬものかは」

これは、『親鸞』が詠んだといわれています。

出家をする前に、髪を剃る時、
親も悲しく、また、女人も、家臣も、幼いその姿と、別れを惜しんでいた。

一人が、未練と思いながらも、
耐えられない悲しみに、膝をにじりだし、
「今夜は、時が経ちすぎました。儀式はせめて、明日にされては、、」
といったところ、親鸞が、上記のようにつぶやいたと言われています。

「偉人は斯く教える  参考」

「明日があるさ」
なんて思っていたら、意外な出来事があって出来なかったり、、、。

「今、この瞬間から出来ない人は、
  明日からなんて、出来るわけがない。」

ダイエットに苦戦しそうなとき、
怠け癖が付きそうな時、こう言われて、自分を奮い立たせた事があります。

「決めた瞬間、今、この瞬間から、心をそこに向かせられなきゃ出来ないよ」

何度も、助けられた言葉です。

6 thoughts on “「明日ありと 思ふ心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

  1. つい先日、家元が小さいときに覚えた和歌だと、このお話をされたばかりなので、すっごくびっくり!ドキドキしてます! そうですよね~ 今やらねば、決して実現はしないかも! 私も頑張りますV

  2. 明日、明後日、来週、来月・・・・しまいには半年たちました。 これは追い詰められる言葉ですね。耳が痛い・・・。 「思う心の仇桜」ってところが、なんとなく好きです。

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