小学生のころ、
決まった日に、「富弘さん」の詩を
配ってくれる担任の先生がいました。
今ではあるのか不明、、な「わら半紙」
で、本のようになっていたのが出てきました。
記憶では、朝の時間に配って、
みんなで「朗読」
をしていたものです。
なかで、「日日草(にちにちそう)」の詩を紹介したいと思います。
今日も一つ
悲しいことがあった
今日もまた一つ
うれしいことがあった
笑ったり泣いたり
望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり
、、、、、、、
そして それらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった
日常の当たり前。
なくなった瞬間に当たり前でなくなる当たり前。
「喜びや悲しみなどを感じさせてくれる当たり前の日常」
そう、平凡な日常。
富弘さんの美術館も行きました。学校で。
いま、こうして読み返して、
当たり前の大切さ、日常のありがたさ
を教えてくれる富弘さんの詩は、
なんだか暖かく、心にきました。
また、ゆっくり美術館に足を運びたくなりました。
僕も富弘美術館に行ったことがあります。どの絵と詩も惹き付けられるものでした。特にこの記事で紹介されている詩は大好きです。転載させてくださいね。
私も富弘さんの感性素敵だと思います。(^-^) わら半紙懐かしいですね。ちゃんと保管してる瑠依さんもすごいっ。
ウメだよ~。 心にすっと入ってくる詩。 紹介ありがとう。
ルークさん。 どうぞどうぞ!!この詩は日常の当たり前のありがたさに気付かせてくれますね。
tokieさま。 わら半紙、、懐かしいですよね。 幼いながら、、「捨ててはいけない大切な物」として、一人暮らしやら、引越しにも負けず、私の手元についてきてくれています(笑)
ウメちゃま。とんでもないです。とても良い詩。 有名だけれど、一つ一つは以外と口から出てこない、、。
私も星野富弘さんの詩、大好きです。乗り越えていることが たくさんある人の思いってすごいですよね。私は「にせアカシア」の詩が好きです。
女将さん。富弘さんの詩は、ありふれた生活のありがたさを教えてくれます。