もし、富士山に登ったつもりが、
筑波山だった事に気が付いたら?
そうか! 僕が登りたかったのは、
筑波山だったんだ!
って思えばいいじゃん。
「やりたいことがわからない」
「何したいのか、、」
そんな事をいっていたら、時間はどんどん進んでしまう。
悩む時間も必要かもしれないけれど、
動いて初めて、体で感じて初めて、人は学習するんですよね。
山が違っても、
登りきったことは事実。
また降りて、富士山を目指してもいいし、
筑波山のプロフェッショナルになったって、、、。
筑波山を登った事は、決して無駄ではないのだから。
歩いてきたら、ここにいた。
それもいいんじゃないかと思います。
そこに、今いるのは自分で、歩いてきたのも真実だから。
それぞれに神様が用意して下さった道が備えられているのに となりの山の方がラクそうにみえたり 素敵な山にみえたりしちゃうんですよね。自分ばっかりけわしい山で損してるような…。でも 乗り越えられるから大丈夫って大変な山を用意された人は それだけたくさんの恵みをもらっているって歩めるといいのになって瑠依さんの文章読みながら思いました。
隣の芝生はなぜあおい、、。って、ほんとうにそうですよね。物は、考え方一つ、受け取り方一つで、随分気持ちも変わりますよね。
とりあえずでも、物事をなにか一つ成し遂げられれば、次の目標を成し遂げるのは少し楽になるものです。生き方、振る舞いのコツが成功や失敗体験のたびにわかってきますから。「一旦始めたら、結果はどうあれ、きっちり成し遂げる」という覚悟があれば、きっとよい人生になるでしょうね。
良い人生、それを精一杯送りたいですね。経験は何にも変えられない大切なもの。