「そこにあるとは 有難いことだとおもう。
 特別な勉学の下地が無くても
 じっと見ていれば きっと何かを教えてもらえる。」

知り合いから聞いたのですが、
「庭で毎日アリを観察し、描き続けた人がいました。
 するとある日、アリは歩き出すときは、必ず決まった足から踏み出すことに気が付きました。」
その話を聞いたとき、ふと、浮かんだのがこの一説でした。

なるほど、じっと見ているとは、忙しい現代人には少し贅沢な話かもしれないし、
「暇人がやること」なんていう人もいるかもしれません。
でも、じっと見るとはやってみると面白い。 何かしら発見がありますよね。

日舞の師匠のお二階には、○坊のお花のお師匠さんである、お義姉様が住んでいらっしゃいます。
いつも玄関には素敵なお花がさりげなく活けてあり、お稽古に行った時眺めるのが習慣になっています。

ある時、師匠に「私、義姉の活ける花、好きなのよね。」
と玄関で言われたことがありました。
まだまだ生意気盛りだった私は、「私お花とかよくわからないんです。」
と言うと、
「良い、悪いなんてあたしもわからないし、特別お花のこと知ってるわけじゃないけどね、
 上手い素晴らしいとかは抜きにして、好きか嫌いでものを見ることって大事だよ。」と。
「あたしは花はよくわからないけど、義姉の花は見ていて飽きなくて、好きなんだ。」

その時は、ドッキッとさっせられました。
有名だ、皆が褒めるだとか、功績、名声なんかが素晴らしいなんてどこかで思っていたんですね。

それ以来、なんでも先入観無しで見るようになりました。
そうして見ると楽しいものです。知らないものでも必ず好きな方たちが教えてくださいます。

ありがたい、そんな気持ちを何時も心においておくことは大切ですね。

2 thoughts on “ありがたい

  1. タシも似た様な事しましたよ。その結果解った事、アリにも性格が有るって事・・・・・。 物を見る(感じる)基本は手前の中にあるしゃきっとしたスケール(基準)、今の人間は此れがねえから他からの情報(肩書き・知名度)に頼る。こんな物ほどあてにならないものは無えの、十何代目の何の何某作って間抜けな作品は、否って言う程見てきましたよ。好き・嫌い、合う・合わないって簡単な尺度で判断するのが御の字・・・・。物を感じるのに能書きは不要。

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