「下町の女には貴賤さまざまに、さらさら流れるものがある。
それは人物の厚さや知識の深さとは全く別のもので、
ゆく水の何にとどまる海苔の味と言うべき香ばしいものであった。
さらりと受けさらりと流す、
鋭利な思考と敏活な才知は底深く隠されて、
流れをはばむことは万(ばん)ない。
流れることは澄むことであり、透明には安全感があった。
下町女のとどこおりなき心を人が蓮葉とも見、冷酷とも見るのは自由だが、
流れ去るを見送るほど哀愁深きはない。
山の手にくらべて下町が侮り難い面積をもっているのは、彼女等の浅く澄む心、
ゆく水にとどまる味に負うとさえ私は感じ入った。」
「勲章」の一部分。下町での暮らしの思い出が書かれています。
これをよんで、「へえ、、。」となんとなく素敵な下町女のイメージをした気がします。
私は、下町の女といってもあまりぴんとはきません。
どんな人がそうであるのかは、あまり出会いも無くよくわからないのです。
「これが下町の女」なんてエピソードや、お話は聞いてみたいし、お友達になってみたいものです。
幸田文さんは水にたとえたりとか、なんとなく目に映る自然などの表現を良く使う気がします。
身近な自然や、見慣れた景色などを使い表現することで、なんとなく知らない時代や人もうっすらと浮かんできたりします。
お亡くなりになる前には、日本の大木など、木を見て回ったようで、文さんの文章にはなんだかぴったりな気もします。
この文章の書かれた頃の下町と、今言われている東京の下町じゃ大分違いますよ・・・・。
なるほど。今の下町と昔の下町。ご存知であれば教えてください。
神田明神・赤坂山王・芝神明、その他、鉄砲州稲荷などの氏子の住む地域が下町。隅田川の東は、川向こう。浅草は田舎って思ってる下町子は日本橋辺りにはたんといますぜ・・・・。
赤坂は今は私の庭。事務所は赤坂。粋な着物姿も最近はめっきり。コンパニオンばかり見かけます。おいおい、そんなに裾短くて、お座敷に行けるのかい、、、なんて姿ばかり目にします。悲しいな、、、。
まるで「旅姿」ですね。誰か教えてあげればいいのに。
そうなんです!教えてあげようにも本人たちは「いい女」といわんばかりにさっそうと(?)歩いています。