「私が決めた事ではないんだから」
は通用しない。
納得できないことだってうけいれられる。

すべてよかった。
あなたの選択はすべてよかった。
正しかったかどうかは知らないけれど、
でも、よかった。
そのとき、そのとき、
できうる最高の選択をしてきたのだから。
ほかに選べるものなんてなかったのだから。

私は以前こう言われた事があります。
「人間毎日が選択だよ」

そうなんですよね。
稽古しないも、するもそう。
それは自分で全て判断、選択した事。
それによって結果が悪くても、自分の責任。

素敵な傘を見て声をかけたら「ご縁」のきっかけになるかも。
仕事で迫られる選択も、その時は「こうだ!」と思っての選択。
後で後悔してもそれは仕方の無い事。

重要なのはその後、先をどうするか。
それもまた「選択」

「後悔」「努力」
私はこの言葉はあまり好きではありません。

「後悔」するよりどんな結果になっても
選択したときの自分のことを信じたい。

「努力」ではなく、当たり前、当然。
必要ならば当たり前なんですよね。「する」という事は。

「頑張る」じゃない「当たり前」
「努力する」当然のこと
この言葉は私を助けてくれました。

必要なことはする。
それは決して「努力」という「苦痛」を含んだ言葉ではなく、
「目標」に向かっているときに出てくるいくつもの課題を
こなすという当たり前の作業。

何事も、楽しんでする。
だってそれをすることで一歩でも理想や夢に近くなるのなら
その時点で「楽しみ」の一つになりますものね。

One thought on “選択すること 伊藤守さんの言葉

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